市村

俳優の市村正親(65)が早期の胃がんと診断され、入院、治療に専念するために25日より東京・帝国劇場で上演中のミュージカル「ミス・サイゴン」を休演することがなった。

妻で女優の篠原涼子(40)もファクスでマスコミ各社へ「家族みんなでサポートしていきます」と夫を支える決意をつづった。
その彼女の献身的な愛に迫ってみた。

 

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プロフィール

市村 正親
生年月日 1949年1月28日
出身    埼玉県
血液型   A型

西村晃の付き人を経て
1973年に劇団四季の「イエス・キリスト=スーパースター」でデビュー。
以来、ミュージカル、ストレートプレイ、一人芝居など様々な舞台に出演。

7篠原記事

市村 涼子 (旧姓:篠原)
生年月日 1973年8月13日(40歳)
出身   群馬県桐生市
血液型  B型
テレビドラマ・映画・舞台・CM


年の差略奪愛の真実とは?

市村は、6月下旬に体調不良を訴え、
診察した結果、急性胃炎と診断されて入院した。

その後の検査で胃に腫瘍が発見され、悪性と判明。
今後は腹腔鏡手術を受け、2週間を経て
退院後は自宅で治療に専念するという。

無題

そのため舞台「ミス・サイゴン」を降板する。
直筆の署名入りFAXには

「本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」
などと無念さをあらわにした。

しかし、11月からのミュージカル「モーツァルト!」には

出演する予定だという。

キャスト

結婚当時、世間のおじさんから

羨ましがられたのも
うなずける25歳の年の差婚だった。

綺麗で若い奥さんをもらった

市村正親は
さぞや篠原涼子に

猛アタックしたのだろうと
誰もが思っていたが、

意外や意外、篠原涼子の方が

市村にベタ惚れで結果的に

市村の奥さんから奪い取るという

略奪劇までやってのけたのである。

二人のそものもの出会いは、
2001年、蜷川幸雄演出の舞台「ハムレット」の
共演がきっかけだった。

篠原記事2

篠原涼子にとって本格的な舞台は初めてで
しかも稽古には特に厳しい蜷川幸雄の演出ということもあり
緊張も相当なものだったという。

しかし、

そんな篠原涼子に市村は優しく労わるように
親切に接していたことが篠原涼子の心をも奪ってしまったようだ。
ハムレットのように出合ってから死ぬまで3日間では終わらなかったのだ。

舞台は成功し、市村の指導もあってか、舞台は成功し、
篠原涼子の演技も高く評価された。

しかし、一方の市村は珍しくセリフを噛むなど
市村が篠原涼子のことを

意識過ぎてしまったせいかはわからない。

そんな市村の優しさに徐々に惹かれつつ、
篠原涼子は舞台が終わった後も

市村と連絡を取るようになった。

妻がいることを知っていながらも
いけない恋に落ちていったのであった。

当時、市村の妻であった八重沢真美とは
すでに別居中であったことも

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二人の愛に拍車をかけた。

1ハムレット画像

八重沢真美は、劇団四季の舞台女優で、

同じ劇団員だった。

市村とはそこで出会い恋に落ち、86年に結婚。

八重沢は四季を一旦退団するが、

15年後には復活。

この復活するときに

「舞台に集中するため」という理由で
市村と別居したと語ったが、
実は市村の女癖の悪さに
我慢が出来なかったのが本当の理由でもあった。

かなりの浮気症に夫婦関係は
すでに亀裂が入っていたようです。

いわゆる、芸能人に多く生息する仮面夫婦だったのです。

八重沢真美と篠原涼子との相当なバトルがあったと思いきや
意外と冷静に二人で話し合ったようだ。

八重沢は離婚には躊躇していたようですが、
やはり、市村の心が

完全に篠原涼子に向いてしまったことに
観念したのか、

別居した翌年には離婚を覚悟したという。

裁判勃発かと世間では騒がれたが、

彼女は潔くに
身を引いたのである。
人を愛するって罪ですね。


父親の思いとは?

2003年にはれて離婚が成立し、
これで晴れてすぐにでも

一緒になるのかと誰もが思っていると
結婚は2年後の2005年。

なにがあったのか?
理由は、篠原涼子の父親が

自分と同年代の市村を心良く思わず
結婚に猛反対だった。
それに、娘の略奪行為が

どうしても許せなかったというのも
父親の怒りにあるようだ。

二人はその間、何度も篠原の

父親に結婚を許してもらえるよう
説得にに実家のある群馬県に通ったという。


父親の本当のやさしさとは?

その頃、父親の体調はかなり悪く
孫の顔を見たいと思ったのかもしれません。

父親は二人が入籍したあとすぐに入院し、
二人が結婚式を挙げた3日後に亡くなった。

親孝行したいときに親はなし。

ハムレットのような悲劇が待っていたのです。

実は篠原の母親は

彼女が2歳の時に交通事故で亡くなり
男手一つで立派に育てたのでした。

篠原4

これもあまりに可哀そう過ぎます。
娘の将来がどんなに

心配だったでしょう。
結婚当時、

還暦間際の市村に子供は

授かるのだろうか。

もしも夫に先立れたら娘が

どんなに不憫だと思ったことでしょう?
でも、最後は、娘の幸せを誰よりも願っていたのです。

しかし、父親が望んだ子宝も

3年後には恵まれます。
だが、こうしてまたも不運が

立ちはだかってきたのです。
人生は、本当に残酷です。

もし、あなたに愛する人がいるのなら
思いきり胸に飛び込み
愛を勝ち取ってください。
人生は、思ったより、そんなに長くはないのですから・・・・

今回のことで大いに学びがありました。
ありがとうございました。

篠原涼子さん、精一杯、

励ましてあげて父親の分も
長生きさせてください。

篠原記事3

市村正親さん、ミュージカル「モーツァルト!」
見にいきます。

復活してくださいね。

応援しています。