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syuuzou熱血修造こと、元プロテニスプレーヤーの
松岡修造さん(48)が都内で行われた
『ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2015』に
女優・土屋太鳳(20)とともに選ばれた。
この賞は今年、一番笑顔が輝いていた著名人を
表彰するものだ。

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スマイルになると周りが変わるよ?

錦織の応援団長として、世界を転戦する修造。
そして、スポーツキャスターとして
どんなスポーツに応援する熱血感は
絶大な人気だ。

「苦しいときこそ笑ってごらん」などの
名言がみんなを勇気づける。

会場でもこんなコメントで
盛り上げていた。

スマイルになると周りが変わるよ。
そして自分が変わるよ。

だからこそ、きょうから君はベストスマイル!


彼はなぜこんなにも熱いのか?

今でこそ、ポジティブで熱い男のイメージが
似合う、松岡修造であるが、以前は真逆の暗い男だった。

その熱さに隠された冷たく過去を振り返りながら
修造を変えていった軌跡をたどってみよう。

しかし、なんといっても彼の家系が凄すぎる。
良いところのお坊ちゃんとは思っていたが
ここまでとは想像つかなかった。

その家系を見て欲しい。

曾祖父に
あの伝説の事業家、阪急東宝グループ創業者の
小林一三氏とは驚いた。
それは、まさに、華麗なる一族といっていい。

曾祖叔父:田邊七六(衆議院議員)
曾祖叔父:田邊宗英(後楽園スタヂアム社長)
祖父:松岡辰郎(東宝社長)
従祖叔父:田邊圀男(総理府総務長官)
父:松岡功(東宝名誉会長)
母:千波静(宝塚歌劇団卒業生)
妻:田口恵美子(元アナウンサー)
兄:松岡宏泰(東宝東和社長)
義兄:辻芳樹(辻調理師専門学校校長)
義伯父:小林公平(阪急電鉄社長)
従叔父:鳥井信一郎(サントリー社長)
従兄:小林公一(阪急阪神HD取締役)

どうだ!わかったか?
と頭をかち割られる衝撃があった。

1967年、東京都生まれ。
應義塾幼稚舎・慶應義塾中等部、
10歳から本格的にテニスをはじめ、
慶應義塾高等学校と進学後、
テニスの道を究めるため、
家族の反対の中、
高校2年の時に
テニスの名門である
福岡県の柳川高等学校に編入したのである。

その後、単身フロリダ州タンパへ渡り、
’86年、プロに転向。
ケガに苦しみながらも
’92年6月にはシングルス世界ランキング46位(自己最高)に。
’95年にはウィンブルドンで
日本人男子として62年ぶりとなるベスト8に進出。

’98年春に30歳で現役を退き、
以後ジュニアの育成とテニス界の発展のために力を尽くす一方、
テレビではスポーツキャスターなどメディアでも幅広く活躍中。
東京都出身の日本の元男子プロテニス選手。
身長188cm、体重85kg。
右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

テニスの道を究めるために
家族の反対を押し切って
始めたテニスがその後の
修造の人生を大きく変えることになる。

父からはプロ転向に際し
一切の援助は行わないと条件を付けられていた。
松岡はまず金銭の工面に苦労する事となったのだ。

宿泊するのは3流以下の安モーテルの一室で、
更にそれを知り合った外国人選手と折半。
ランキングが下の松岡はいつも汚い床の上で寝ていたという。


ドが付くくらいネガティブと分析?

ポジティブで熱い男のようなイメージがある
修造ではあるが、
本当は、かなり消極的で弱い人間だった。


“ド”が付くくらいネガティブ」と当時を分析している。
かつては喜怒哀楽も出せない、ネクラな青年だった。

そして、モチベーションを高めるために
富士山の写真を必ず持っていた。
気持ちが崩れそうになると、
その写真を取り出してみた。

日本一がポイントではなかった。

なぜか、僕らしさを取り戻すには
富士山が最も近い存在だったと話す。

富士山は見た目の美しさとは違って険しい山で、
頂上にたどり着くのは大変だ。
自分の目標を同じように捉えていたのかもしれない。

今、自分がやっていることは
大変だけど登り切ろうと。
その頂上には富士山のような
美しさがあると信じていた。


転戦で怪我に苦しむ!

89年にヒザを痛め2度にわたり手術、
厳しいリハビリの末にツアーに復帰を果たすが、
90年のセイコースーパーテニスでは足首の靭帯を損傷。

左足首の3本の靭帯全てを断裂するという大怪我を負い、
選手生命さえそれでも松岡は壮絶なリハビリに耐え、
なんと翌年にツアー復帰。

不屈の精神で這い上がるがボロボロだった。

貧窮に堪えながらの世界中を転戦。
ホテルの朝食に出たクロワッサンを
隣のテーブルから盗んで食べたこともあったという。

孤独な自分を奮い立たせるため
「エースをねらえ!」全巻を持ち歩く。
ウィンブルドンのセンターコートにもそれを持ち込んだ。

ここで転機が訪れる。


『自分を信じてけ!』と

日本人の観客の方が声援を送ってくれた。
本当の自分の強さを出させてくれた言葉だった。

だからこそ、苦しいとき、
辛いときは自分を鼓舞しようと

「修造がんばれ!」
「大丈夫。できる」
「絶対できる」

と声に出し、ときには心の中で、
彼は強く叫び続けてきたと当時を振り返る。

日めくりカレンダーの
「まいにち、修造!」の売り上げが
絶好調の松岡だが、こんな辛い過去から
生まれたなんて想像もつかなかった。

泣き言を言わず、自分を責めず、
ただ、笑って自分自身を応援し続けた。
そこで鍛えた強靭な精神。

だから、この言葉には力がある。
心の叫びがある。
今日からでも遅くない。
修造のように自分自身の応援団になろう。

そして今はこう変わった。

今は周りの人を応援することが生きがいなんです。
誰かを応援することによって、
自分も元気になれる。
頑張ろうって思える。
結局は自分のために応援しているんですね

苦しい時こそ、笑ってごらん!

わがままでなくあるがままに!

ありがとう いつもありがとう!

崖っぷち、だーい好き!

自分を持ちたいなら、サバになれ!

失敗しても全然OK!

君は本気か?僕は本気だ!!

打ち上げてごらん、心の花火を!


松岡修造の人生を強く生きる83の言葉の真実がある!

この本に彼の真髄があるようだ。

今日からお前は富士山だ!
三日坊主OK!
よーし、絶対に勝つ。勝ったらケーキだ!

人生を強く生きる言葉。まだまだあります!

ついでなので、テンコ盛りで紹介しよう。

「緊張してきた。よっしゃあー!」「崖っぷちありがとう! 最高だ!」
「自分を好きになれ!」「真剣に考えても、深刻になるな!」
「大丈夫、なぜならきみは太陽だから」「悩みん坊、万歳!」
「性格は変えられない。でも心は変えられる」「反省はしろ! 後悔はするな!」
「おまえの終わり方は、なんとなくフィニッシュだ!」「チャンスをピンチにするな!」
「偶然やラッキーなどない。つかんだのはおまえだ!」
「がんばれ!ではなく、がんばってるね!」「二重人格は素敵だ!」
「泥んこ、ばんざーい!」「緊張した時は心を入れて息を吐いてみよう」
「負けたことは悪いことじゃない!」「あなたが変われば、周りも変わる」
「自分の弱さを認めたとき、人は、前進する勇気が湧いてくる」
「人を感じてください。信じてください」「みんな竹になろうよ」
「上を見ろ! 上には空と星だけだ!」「上海見てみろ。上海になってみろ!」
「消極的とはすぐにおさらば! 消してしまえばいい」
「温泉はなあ、人のことは癒しても、温泉自信を癒したことはないぞ」
「お醤油ベースのお吸い物にあんこ。非常識の中に常識あり」
「何かができない理由は年齢じゃない」「味わってますか? 人間味」
「稲穂のようなおじぎができたら素晴らしいと思いませんか」
「イワナを見てみろよ。イワナはな、余計な味付けはいらないんだよ」


まとめ

「脳は苦しいなあと思うときほど喜んで動いている。」

これは、脳科学者の茂木健一郎氏の言葉だ。


仕事でも勉強でも
自分の能力の限界を感じる時間、
限界の難易度を設定して取り組んでみてください。

それをやり遂げたときに脳は最高に喜んで、
強烈な記憶として残り、学習効果も上がるはずです。

修造は、そのことを知ってから、
いいアイデアが浮かばなかったり、
難解な本を読んでなかなか理解できないときに

『やったー!
俺の脳、いまブルブル震えて喜ぼうとしているよ!』

と思うようになったという。

つまりこうだ。
人は必ず壁にぶち当たる。

その時こそ、喜ぶのだ。

そして壁を乗り越えたときには
子どものように素直に喜ぶ。

やったー!

すると、
脳も喜んで
どんどん自分を成長させるくれるらしい。

言い事を聞いたね。
今日から、
いや、いまでしょ。

そう、今から実行しようと思う。
今日の学びは大きかったね。

長くなってしまいましたが、お読みいただいて感謝いたします。
ありがとう。お幸せに!!


「スマイルになると周りが変わるよ。
そして自分が変わるよ。
だからこそ、きょうから君はベストスマイル!」